杢目金屋-ものづくり


杢目金屋のものづくり

文化財の研究

日本最古の木目金(杢目金、杢目銅、もくめがね)
秋田県指定有形文化財 小柄 金銀地杢目鍛 銘 正阿弥伝兵衛
昭和38年2月5日指定を参考に江戸時代の木目金模様の研究制作実験報告
2003年5月12日

木目金 文化財

はじめに

木目金(杢目金、杢目銅、もくめがね)は日本が世界に誇る特殊な金属加工技術である。その特殊な加工工程は単なる技術の枠を超え、素材と制作者の対話という思想的、精神的領域にまで及ぶ。今回、日本最古の木目金(杢目金)の作例であると同時に日本で最も優美な木目金(杢目金)とされる出羽秋田住正阿弥伝兵衛作の小柄の模様を参考に江戸時代の秋田正阿弥による杢目模様を創り出す製作工程に絞り込み再現研究を試みた。私の知る限り、本研究が江戸時代の木目金(杢目金)技術の紋様に関する初めての研究制作となる。当時の工人の高度な技術を具体的に解明し、その技術を習得することが彼らの思想、精神を知る唯一の方法であると考える。

木目金(杢目金)技術について

木目金(杢目金)とは杢目銅とも表記し、先ず色の異なる金属の板材を幾重にも積層させることにはじまる。 その表面を鏨やドリル状工具により彫り下げたのち、金槌によって平坦に鍛造加工し表面に杢目状の模様を表す技法を言う。 また、木目金(杢目金)はその模様から銘木の一種である唐木の鉄刀木(タガヤサン)地とも称され霞打ともよぶ。

その起源は、出羽秋田住正阿弥伝兵衛作のぐり彫り(具利、倶利、屈輪)にはじまると伝えられる。 アイヌの民族模様に影響を受けたとされる説や、中国の漆による屈輪が元との説が一般的である。屈輪とは宋から明の時代に作り出された漆の技法である堆漆、犀皮(せいひ) による屈輪紋を彫り下げた茶道具などの総称である。日本には室町頃より輸入され珍重されていた様子が当時の茶会記からも読み取れ、また鎌倉彫りの起源となったことは有名である。東京芸術大学大学美術館や大阪の藤田美術館に南宋時代とされる漆の屈輪の香合の名品が収蔵されている。

江戸時代後期には印籠などにも同じ起源とみられる国産の漆による名品が残っており、当時この手のデザインが嗜好品として広く浸透していたことがうかがえる。木目金(杢目金)の技術が完成したのは江戸時代後期天保頃、七代赤尾吉次、太七の門人に高橋卯兵衛正次という倶利彫りの上手が出ている。その特徴的な彫りは鋭利で深い。その後更に正次の門人、興次という同巧の作者がでる。現存する高橋正次、興次に始まる高橋一派によるみごとな倶利彫り・木目金(杢目金)の刀装具は、木目金(杢目金)の完成と考えるにふさわしいものであろう。 木目金(杢目金)技術の完成は新しい日本独自の金属加工技術の誕生でもあった。

考察

本研究では他に類を見ないこの独特の紋様を可能な限り再現し、当時の工人による木目金(杢目金)の高度な技術を具体的に解明することに焦点を絞った。 江戸後期の高橋一派の木目金(杢目金)の作例や江戸後期から明治に掛けての単純化した積層状の紋様の木目金(杢目金)とは一線を画す、他に類を見ない出羽秋田住正阿弥伝兵衛一派独特の紋様であることが明確である。

積層順と積層枚数の分析

先ず、積層枚数及び、積層の順番の確定が必要となる。今回、写真を拡大し紋様をトレースする方法を採用。 紋様を細部に至るまで細かく分類分けし金属の種類を確定する作業とした。しかし木目金(杢目金)の製作工程に起因するのだが、その紋様の細部は極めて繊細なものとなる。作為的に彫りだされた紋様ではなく、積層によって作り出された地図の等高線のごとく複雑な素材の変化が、1ミリ四方の範囲のなかでも複雑に展開され判別が困難であった。部分的に判別不可能な箇所が幾つもあり今回明確に素材の差異が抽出可能な箇所を選定し分析した。

前述にあるように木目金(杢目金)は積層した金属を鏨やドリル状工具により彫り下げたのち、金槌により平坦に鍛造加工することによって杢目状の紋様を出す技術である。この工程から表面にあらわれる紋様はどの部分を抽出しても構成要素となる金属の積層順が同じとなる特徴を有する。

木目金 積層

【トレース分析結果】
A: 赤銅・金・(銅)・金・赤銅・銅・銀・赤銅・銅・金・赤銅・銅・銀・ 赤銅・a 銅
B:a 銅・金・赤銅・(銅)・赤銅・金・銅・赤銅・銀・銅・赤銅・金・銅・赤銅・銀・銅・赤銅・b(金)・赤銅・銅 C:b 金・(銅)・b 金・赤銅・銅・銀・赤銅・銅・金・赤銅・c 銅
D:c 銅・銀・赤銅・銅・金・赤銅・( 銅)
*今回明確に素材の差異が抽出可能な箇所を選定しトレース分析をした。a 銅、ba 銅、b金、c 銅は同一層である。
トレース分析により、紋様のA 部とB 部の( 銅) を境に明らかに積層の順番が逆転していることが判明した。 またそれは単なる積層順の逆転だけでなく、表示した( 銅) の前後にある金属が同一積層であることがトレース図を等高線の観点から観察すると確認できる。

この結果から紋様を作り出す前の積層の状態で部分的に積層の順番が逆転する何らかの特殊な加工をほどこしていたと考えられる。 更にC部、B部を観察すると同じように(銅)を境に積層が逆転しており更にA部と同じ積層順であることが確認できた。 この結果から積層順の逆転はある規則性を持っておこなわれていると仮定される。 更に細部を細かく分析してゆくと積層順の逆転は独特の木目金(杢目金)の紋様として指摘した流線形状の箇所を一区切りとして交互に行なわれていることが明らかになった。

結論

積層順は銅、赤銅、金、銅、赤銅、銀、銅、赤銅、金、銅、赤銅、銀、銅、赤銅、金、銅、の16層と確定。 その特殊な積層順の逆転から、16 層の金属を積層したのち角棒状に鍛造加工を施し、更にその後ねじり加工を加えるという複雑な工程を経たと推測できる。 ねじり加工を加えた素材をあらためて金槌を用いて平板状に鍛造することによって、まず出羽秋田住正阿弥伝兵衛独特の流線形状の木目金(杢目金)の紋様の元になるねじり模様がその表面にあらわれる。 更に、部分的に鏨やドリル状工具を使用し彫り下げた後、金槌によって平坦になるよう鍛造加工を繰り返す。 この工程によりほぼ同心円の波紋状の紋様があらわれその影響によってねじり模様がゆがみ流線形状の紋様に変化してゆくと推定した。

復元制作実験

1. 素材の準備

紋様のトレース分析によって確定した銅6 枚、赤銅5 枚、金3 枚、銀2 枚のそれぞれの板材を用意した。 今回、使用した合金は純銅を基準として加工性を考慮し硬度が一定になるよう金はK20、銀は970 を使用することとした。 今回板材の寸法の決定には非常に悩んだ。 高橋一派の木目金(杢目金)に見られる、積層を鏨やドリル状工具によって彫り下げたあと鍛造加工により平板にした単純なものであれば、大きめに杢目模様を作り必要な部分のみ切り取ることが可能である。 しかし、この木目金(杢目金)はねじり加工が加わるため、大きめに作り切り取ることが不可能であることから積層段階の寸法が最終仕上がり寸法を決定することとなる。 表面積に関しては明確なのだが厚みに関しては今回、紋様から推測し決定した。 その基準としたのがほぼ同心円の波紋状の紋様の彫り下げる深さである。 紋様の細部を観察するとトレース分析の結果から16 層のうち半分をこえる金属の積層枚数が波紋状の紋様の構成要素となっていることが確認できた。 厚みのある積層では高低差が 出来すぎ外形や流線型状の紋様に著しく影響を及ぼすため、仕上がりの木目金(杢目金)の厚みの寸法はごく薄い板材と判断。 最終的には彫り下げの加工時に紋様の状態を確認しながら平板状に鍛造する段階で調整することとした。

推定した完成予想寸法から質量保存の法則をもとに、積層後の端部の不完全部の除去や金槌による平板材に鍛造加工するときの圧縮なども見越し7ミリから8 ミリ相当の積層した角棒からの制作と決定した。 寸法に幅があるのは木目金(杢目金)技術の性格上その時の積層の状態や紋様の雰囲気によって制作者の経験と勘に頼る部分が多く、また少しの工程の差が最終的な仕上がり寸法や紋様に影響を及ぼす為厳密には寸法の確定が不可能なのである。 実製作の前に銅の角棒を用いて何回もシュミレーションを行なったが、実際の積層では前述のごとく様々な要因から素材の変化に柔軟に対応することを強いられる。 したがって最終的な決定は作業上においてのみ行なわれ最後の最後までフレキシブルに対応せざるをえない状況がつづく技術なのである。 今回、平板への圧延加工は全て金槌にて行なう為、縦方向、横方向の延ばす率は調節可能である。角棒は仕上がりの平板の体積より推定し、ねじり加工を行なうのに適したバランスを選択した。

  • 木目金鐔 無銘
  • 木目金鐔 無銘
  • 木目金鐔 無銘
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2. 積層の接合

下処理としてまず用意したそれぞれの板材を紙やすりの600番、800番、1000番、1200番、1500番と順番に使用して研磨、その後炭とぎを併用し丁寧に表面を均一に仕上げた。 その後分析した順番に積み重ね、過熱、鍛接加工。木目金(杢目金)は情報不足やその工程の複雑さから正確に理解され難く、溶着、融着などと語られることが多いが厳密には拡散結合の表現が正しい。金属表面同士を相互に原子レベルに及ぶ程度まで接近加圧すると、金属結合がおこる。原理としては二つの金属を密着させることによって接合することが可能とされる。木目金(杢目金)はこの拡散結合の原理をもとに加熱、加圧の手段を用いて色の異なる金属を固相体の状態のまま結合させる技術である。要するに金属を溶かし付けるのではなく固体の状態で結合させる方法なのである。工業的には、自動車の駆動部品などの生産に広く応用されている技術である。木目金(杢目金)はこの原理を使用し、それぞれの金属独自の色合いを損なうことなく紋様を作り出すに耐える結合を実現することによって可能となる特殊な金属加工技術である。細部を検査し積層が不完全な部分を除去した後、7ミリから8ミリ相当の角棒状に金槌を用いて鍛造加工を施す。

  • 木目金鐔 無銘
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3. ねじり加工

トレース分析により、ねじり加工は表、裏、表、裏の合計4回の逆転が行なわれていると判明。 鍛造成形した角棒を上記4 回の逆転がおきるよう積層順に注意しながら加熱、焼鈍を繰り返し少しづつ慎重にねじり加工を施す。 その後、再度角棒状に鍛造成形した。

  • 木目金鐔 無銘
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4. 紋様の彫り下げ加工

前述したが、紋様の細部を観察するとトレース分析の結果から16層のうち半分をこえる金属の積層枚数が波紋状の紋様の構成要素となっていることが確認できた。このことはねじり加工を加えたあと積層の半分以上の深さまで鏨やドリル状工具によって彫り下げたことを意味する。厚みのある積層でこれ程までの深さに彫り下げると、平面に金槌で打ちのべる際高低差が出来すぎ全体の外形やねじり加工による紋様に大きな影響を及ぼす。実際には一回で彫り下げるのではなく、ねじり加工した角棒をある程度まで平板状に加工したのち、彫っては打ち、彫っては打ちという工程を十数回にわたり繰り返しおこない紋様を作り出していく。今回、ねじり加工を施した角棒材を約半分以下の厚みになるまで金槌をもちいて鍛造した。木目金(杢目金) は本来その工程上同じ紋様は二度と作り出せない技術であるが今回、可能な限り江戸時代の紋様に近づけるようルーペを用いて、鏨や回転工具の彫り下げの深さや形状を確認しながら丁寧に作業をすすめた。ヤスリなどの切削工具を使用すると紋様が変化してしまうため、完成寸法に到達する時点で紋様が平坦になるようタイミングをはかり仕上げまで金槌を用いて表面を均一にならし完成とした。

  • 木目金鐔 無銘
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  • 木目金鐔 無銘
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5. 色上げ

今回、東京芸術大学で使用している水1リットルに対し硫酸銅3グラム、緑青3グラム、明礬少々の割合の煮色液を使用した。下処理として色上げ直前に紋様が変化しないよう注意しながら丁寧に名倉砥石、朴炭、桐炭の順番に研ぎをおこなう。重曹により脱脂したあと大根おろしを塗布し沸騰した煮色液の中に入れる。色の状態を見るため、液中よりとり取り出して重曹で表面をかるく擦り再度大根おろしを塗布して液中に入れることを繰り返す。 色味によって薬品を微調整して、最終的に20分ほど煮込み着色。良い色になった時点で液中よりすばやくとりだし水のなかに浸す。蜜蝋を表面の保護と艶出しの為塗布し完成。

最後に

日本が世界に誇るこの特殊な金属加工技術の奥の深さを改めて感じた。今回の研究制作は私にとって単に江戸時代の木目金(杢目金) の紋様の再現との意味合いだけでなく、当時の作業工程を実験することにより、出羽秋田住正阿弥伝兵衛の感性を身を持って感じとる経験でもあった。

今回、江戸時代の秋田の木目金を研究していく中でこの特殊な木目金(杢目金) という金属加工技術の伝承、研究の難しさを痛切に感じた。 木目金(杢目金)は、細部における工程の複雑さ、および口伝えのあいまいさ、また彫金と鍛金の両方の基礎技術を有した前提の技術となるため、習得は非常に困難なものとなる。またその工程の多くは素材を作る段階に集約され、作品として昇華するには、制作者それぞれによる更なる研鑽が必要不可欠とならざるをえない技術なのだ。それ故、後進の指導となると実態は体験的な制作にとどまり正確な伝承と成り難いのが現状である。人によって使用する設備・道具の小さな差異によっても制作工程が大きく変化する不確定さを持ち合わせているので、目先のテクニックに翻弄され、その多くは技術的な表面上の習得にとどまっている。

精神性の観点からは、故伊藤廣利先生が「素材の云い分―木目金制作を通して―」で述べられている。現代社会における芸術の多様化にともなう生活を基盤としない美的価値基準の中において、金属工芸の中に精神性を見出すこと自体理解されがたいこととなってしまった。木目金(杢目金)が金属素材の変化を五感によって感じ取り、素材との対話によってはじめて、その独特の紋様をあらわす技術であったとしても、そこに内包する精神性を理解することはたとえ芸術に携わる人間であったとしても困難であると私自信も痛切に感じる。その技術の特殊性ゆえ、珍しさや独特の自然の風合いのみが持てはやされ、木目金(杢目金)技術の内包する素材と制作者との対話という思想的、精神的な意味への到達に至らないことは日本の文化にとって非常に嘆かわしいことである。

現在、私は木目金(杢目金) 技術を使用し、婚約・結婚指輪の制作やジュエリー全般、また美術工芸品の制作を手がけている。 日本が世界に誇るこの素晴らしい特殊な金属工芸技術が埋もれることなく現代の生活の中において、素材と制作者との関係という精神性をも含めて使用する人が楽しめる方法を模索してゆけたらと思う。

[参考文献]
「鐔観照記」 鳥越一太郎 日本文教出版 1965
「鐔の美」 加島進 大塚巧芸社 1970
「鐔大観」 川口渉 南人社 1935
「秋田の鐔工と刀工の研究」 菅原鶴太郎 菅原美穂子 1979
「日本科学技術史」 朝日新聞社 伴俊彦編
「素材の云い分―木目金制作を通して」 伊藤廣利
「茶道具の世界10 香合」 池田巖 淡交社 平成12年
「秋田の有形文化財」 秋田県教育委員会編
「彫金・鍛金の技法I・II」 金工作家協会編集委員会編
「アートマニュアルシリーズ メタルのジュエリークラフト―伝統技術を生かして―」高木紀子 三木稔 美術出版社 1982
「日本科学技術史 鍛金 三井安蘇夫」 朝日新聞社編 昭和37年
「秋田県文化財調査報告書第105 集 秋田の工芸技術 杢目金 藤原茂」秋田県教育委員会 昭和58年
「平成十年度 学習講座 秋田の金属工芸」秋田市立赤れんが郷土館 平成11年
「ナイフマガジン」株式会社ワールドフォトプレス

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